社会【基本】日本の歴史 平安時代

問1

下の表は平安時代の主なできごとをまとめました。□に当てはまる言葉を答えなさい。

できごと答え参考サイト
\(\boxed{①}\) 天皇は、都を784年に長岡京ながおかきょう、794年には \(\boxed{②}\) に移した。都では中臣鎌足なかとみのかまたりの子孫にあたる藤原氏ふじわらしが、天皇てんのうおさないときには \(\boxed{③}\) として、成人したあとには \(\boxed{④}\) として政治の実権をにぎっていた。このような藤原氏による政治を \(\boxed{⑤}\) という。
\(\boxed{①}\) 天皇は \(\boxed{⑥}\) を征夷大将軍せいいたいしょうぐんに任命して、東北地方の蝦夷えみしをおさえた。
地方の政治は国司こくしに任されており、一部では自分の財産を増やすため、決められた以上の税を取り立てる者もいた。そこで、地方の豪族ごうぞくらは、都の有力者に荘園しょうえん寄付きふして、税を納めなくてもよい権利 \(\boxed{⑦}\) や、役人の立ち入りを断る権利 \(\boxed{⑧}\) を獲得かくとくするようになり、国の収入はいちじるしく減った。
このように都や地方の政治がみだれてくると、地方の豪族たちは領地りょうちを守るために武装ぶそうしたり、武装した者をしたがえたりする \(\boxed{⑨}\) と呼ばれる人々になりました。 \(\boxed{⑨}\) は朝廷ちょうてい貴族きぞく、国司との結びつきが強くなり、一族や従者を組織して \(\boxed{⑨}\) 団となっていった。
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②:■■■

③:■■■

④:■■■

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⑨:🔎
935年、下総国しもうさのくにの豪族であった \(\boxed{⑩}\) が自ら新皇しんのうと名のり関東一帯で反乱はんらんを起こした。このできごとを \(\boxed{⑪}\) という。939年、伊予国いよのくにの役人であった \(\boxed{⑫}\) は瀬戸内海の海賊かいぞくを率いて西国さいごくらした。このできごとを \(\boxed{⑬}\) という。これらの朝廷ちょうていに対する大きな反乱は武士の力を借りなければしずめることができなかった。⑩:■■■

⑪:■■■

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⑬:■■■
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⑬:🔎
11世紀前半、藤原氏一族の \(\boxed{⑭}\) は、むすめを次々に天皇にとつがせ、息子の \(\boxed{⑮}\) とともに藤原氏の全盛期ぜんせいきを築いた。このころの朝廷の重要な役職は藤原氏によってめられていた。藤原氏は朝廷の収入のほか、多くの \(\boxed{⑯}\) から大きな収入を得ていた。⑭:■■■

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11世紀半ば、東北地方で2度にわたって豪族の争い前九年ぜんくねんえき後三年ごさんねんの役が起こったが、東国とうこくの武士を率いた \(\boxed{⑰}\) らによってしずめられ、源氏げんじの名声が高まった。一方で西国は平氏へいしが海賊を滅ぼし勢力を持つようになった。⑰:■■■⑰:🔎
11世紀後半、藤原氏と血縁けつえん関係のない後三条ごさんじょう天皇が政治を行うようになり、藤原氏をおさえるようになった。後三条天皇の子の \(\boxed{⑱}\) 天皇は1086年に位を8歳の皇子おうじにゆずり上皇じょうこうとなった後、上皇の屋敷やしきで政治を行った。このような政治を \(\boxed{⑲}\) という。
\(\boxed{⑲}\) が始まると政治の実権じっけんをめぐって上皇と天皇が対立するようになった。藤原氏や源氏・平氏もそれぞれ一族の内部で上皇側と天皇側に分かれて対立し、1156年に都で \(\boxed{⑳}\) が起こった。たたかいはすぐに終わったが、天皇側について勝利した平氏の \(\boxed{㉑}\) と源氏の \(\boxed{㉒}\) が対立し1159年に \(\boxed{㉓}\) が起こり、 \(\boxed{㉑}\) が勝利した。
\(\boxed{㉑}\) は1167年に武士として最初の \(\boxed{㉓}\) となり、政治の実権をにぎった。そして藤原氏と同じように娘を天皇に嫁がせて勢力を強めていった。現在の神戸港の場所に大和田泊おおわだのとまり整備せいびして、 \(\boxed{㉔}\) 貿易ぼうえきさかんにし、宋銭そうせんなどを輸入し大きな収入を得た。この貿易で利用する瀬戸内海航路の安全をはかるため、守護神しゅごしんとして \(\boxed{㉕}\) 神社を保護した。
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⑲:■■■

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㉕:🔎
9世紀初めとうから帰国した \(\boxed{㉖}\) は比叡山ひえいざん延暦寺えんりゃくじ建立こんりゅう天台宗てんだいしゅうを伝え、 \(\boxed{㉗}\) は高野山こうやさん金剛峯寺こんごうぶじを建立して真言宗しんごんしゅうを開いた。㉖:■■■

㉗:■■■
㉖:🔎

㉗:🔎
9世紀半ば以降いこう、唐の文化を吸収きゅうしゅうし日本の国土や生活にあった文化が貴族の間に広まりました。この文化を \(\boxed{㉘}\) 文化という。
文字では、漢字全体をくずした \(\boxed{㉙}\) や、漢字の部首から \(\boxed{㉚}\) がつくられた。このような文字のことを \(\boxed{㉛}\) 文字という。特に \(\boxed{㉙}\) を使った文学が女性の間で発達し、源氏げんじ物語は \(\boxed{㉜}\) 、枕草子まくらのそうしは \(\boxed{㉝}\) によって書かれた。その他、かぐやひめの伝説にもとづく竹取たけとり物語、紀貫之きのつらゆき土佐とさ日記は \(\boxed{㉙}\) で書かれた最初の日記として知られ、和歌では古今和歌集こきんわかしゅうがある。
貴族の住居じゅうきょの様式は \(\boxed{㉞}\) とよばれ、ふすまやびょうぶには日本の景色や風俗ふうぞくがやわらかな線とはなやかな色の絵の \(\boxed{㉟}\) がえがかれた。絵と物語を組み合わせた \(\boxed{㊱}\) も発展した。
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10世紀半ばに空也くうやが説いた \(\boxed{㊲}\) は、貴族や豪族に広がり各地に阿弥陀堂あみだどうが建てられた。藤原頼道ふじわらのよりみちが建てた京都の \(\boxed{㊳}\) 、奥州おうしゅう藤原氏が建てた岩手の \(\boxed{㊴}\) が有名である。 \(\boxed{㊵}\) 上皇は仏教をあつく信仰しんこうしたため、寺院の勢力が強まった。興福寺こうふくじ延暦寺えんりゃくじなどの有力な寺院では、寺の荘園を守るとともに要求を通すため下級のそう武装ぶそうさせた。この武装した僧を \(\boxed{㊶}\) という。㊲:■■■

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㊶:■■■
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12世紀末に源頼朝みなもとのよりとも伊豆いずで兵をあげ、弟の \(\boxed{㊷}\) を送って各地で平氏を破り、1185年 \(\boxed{㊸}\) の戦いで平氏をほろぼした。㊷:■■■

㊸:■■■
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㊸:🔎

問2

(1)平城京へいじょうきょう長岡京ながおかきょう平安京へいあんきょうの位置を下記の地図中のA~Cの中からそれぞれ選びなさい。

答え(1)
平城京:C、 長岡京:B、 平安京:A

(2)都を784年に長岡京ながおかきょう、794年に平安京へいあんきょうに移しました。このように都を奈良から京都に移した主な理由を答えなさい。

答え(2)
奈良時代に仏教が重んじられ、寺院が力を持ち僧が政治に口を出すことがあったため、寺院勢力の強い奈良から離れたかったから

問3

平安時代に繁栄はんえいした仏教を下表に示しました。A~Hを下の選択肢から選び記号で答えなさい。

宗派しゅうは開祖かいそ総本山そうほんざん
都府県場所寺院
ABC比叡山ひえいざんD
EFG高野山こうやさんH
選択肢
真言宗
浄土宗
天台宗
浄土教
空也
源信
空海
最澄
奈良
京都
和歌山
滋賀
延暦寺
東大寺
金剛峯寺
中尊寺
答え
A:天台宗 B:最澄 C:滋賀 D:延暦寺 E:真言宗 F:空海 G:和歌山 H:金剛峯寺

問4

このをば とぞおも望月もちづきけたることも しとおもへば

この歌はむすめが天皇にとついできさきになることをいわう席でよまれました。この歌をよんだ人物は誰ですか?

答え
藤原道長ふじわらのみちなが