社会【基本】日本の歴史 奈良時代

問1

下の表は奈良時代の主なできごとをまとめました。 \(\boxed{ }\) に当てはまる言葉を答えなさい。

できごと答え参考サイト
\(\boxed{①}\) 年、元明げんめい天皇のとき、とうみやこである \(\boxed{②}\) を参考にして、奈良に \(\boxed{③}\) が作られた。また、都の周囲では日本で最初の流通貨幣りゅうつうかへいといわれている \(\boxed{④}\) が使われた。①:■■■

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天皇が日本国を支配しはいするようになった歴史が書かれ、720年に完成したわが国で最初に編纂へんさんされた国史こくしは \(\boxed{①}\) である。712年に編纂へんさんされた \(\boxed{②}\) は、神代じんだいにおける天地の始まりから推古天皇に至るまでの出来事が記載きさいされており、原本げんぽん現存げんそんせず写本しゃほんで伝わっている。国司こくしに各国の産物や地名などを記録させた \(\boxed{③}\) 、約4500しゅの歌が収められた \(\boxed{④}\) の書物がある。①:■■■

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農村では701年に制定せいていされた大宝律令たいほうりつりょうで、6歳以上の人民に口分田くぶんでんをあたえられたが、重いぜいのため口分田をてる農民がいる一方いっぽう、人口増加であたえる口分田が不足してきた。口分田の不足をおぎなうため723年に朝廷ちょうていは、開墾かいこんした田を期限きげんつきで所有しょゆうすることをみとめる \(\boxed{①}\) を制定した。さらに743年には切り開いた田は永久に自分のものにしてもよい \(\boxed{②}\) を制定した。 \(\boxed{②}\) の制定後、有力な貴族きぞく寺院じいんなどは口分田を捨ててげてきた農民を使って土地の開墾をすすめ、 \(\boxed{③}\) とよばれる私有地しゆうちを増やした。①:■■■

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第45代 \(\boxed{①}\) 天皇は仏教ぶっきょうの力で、伝染病でんせんびょう、ききん、あらそいをおさめようと考え、741年に僧寺そうじの \(\boxed{②}\) 尼寺にじの \(\boxed{②}\) 尼寺を建てさせた。総 \(\boxed{②}\) 寺として奈良市に \(\boxed{③}\) を建てさせ、743年に大仏の造立ぞうりゅうを命じた。そのときに協力したそうの \(\boxed{④}\) は、大仏造立のほかに各地で治水ちすい架橋かきょうなどの社会事業じぎょうを行った。①:■■■

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朝廷は唐の進んだ制度・文化を取り入れるため、630年に第一回目の \(\boxed{①}\) を送った。それから230年の間に十数回も \(\boxed{①}\) が送られた。717年に留学生りゅうがくせいとして日本から唐へわたった \(\boxed{②}\) は、船が難破なんぱして帰国できず、唐の皇帝に一生つかえた。日本からの強い要請ようせいで唐のそう \(\boxed{③}\) は、仏教の戒律かいりつを伝えるため753年6度目の航海こうかいでようやく日本に来ることができた。その後、奈良市に \(\boxed{④}\) を建て日本の僧や寺院の制度をととのえた。①:■■■

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聖武しょうむ天皇のころにはな開いた貴族・仏教文化を、そのときの元号げんごうから \(\boxed{①}\) 文化という。東大寺大仏殿でんの北北西に位置する \(\boxed{②(建物名)}\) は、 \(\boxed{③}\) という建築様式けんちくようしきで建てられ、シルクロードの終着点しゅうちゃくてんといわれるように、多数の美術工芸品びじゅつこうげいひん収蔵しゅうぞうしていた建物である。①:■■■

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718年元正げんしょう天皇は、 \(\boxed{①}\) に大宝律令の改修かいしゅうを命じたが、720年 \(\boxed{①}\) の死後、編纂へんさん作業が止まった。孝謙こうけん天皇のときに、 \(\boxed{①}\) の孫である \(\boxed{②}\) が主導しゅどうし757年に大宝律令に続く律令として \(\boxed{③}\) が施行しこうされた。①:■■■

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問2

奈良時代の書物に関する問いに答えなさい。

(1)表中A~Dの特徴とくちょうにあてはまる内容を下記選択肢から選びなさい。

書物名年代主な編纂者へんさんしゃ特徴
古事記712年太安万侶おおのやすまろA
日本書紀720年舎人親王とねりしんのうB
万葉集7世紀後半から8世紀後半大伴家持おおとものやかもちC
風土記713年からそれ以降各地の有力者D

㋐天皇・貴族から兵士や農民などさまざまな身分の人がんだ歌がはば広く収められている

神代じんだいから推古天皇までを紀伝体きでんたいで記述され、神話しんわ比重ひじゅうが大きい

㋒地方の歴史や文物ぶんぶつを記した地誌ちし

神代じんだいから持統天皇の時代までの歴史が記録され、日本で最初に編纂へんさんされた歴史書

答え(1)
A:㋑、 B:㋓、 C:㋐、 D:㋒

(2)下記①~③の歌で万葉集におさめられたものをすべて答えなさい。

①:あまはら ふりさければ 春日かすがなる 三笠みかさやまに いでしつきかも

②:韓衣からころも すそにとりつき らを きてそぬや おもなしにして

③:あたらしき としはじめの 初春はつはるの 今日きょうゆきの いやしけ吉事よごと

答え(2)
②と③

(3)元号げんごうに使われた大伴旅人おおとものたびとの歌です。 \(\boxed{ }\) に当てはまる言葉を答えなさい。

初春しょしゅんの \(\boxed{ }\) げつにして かぜ \(\boxed{ }\) ぎ うめ鏡前きょうぜんひらき らん珮後はいごこうかおらす

答え(3)
令・和
初春のれい月にして 気淑く風やわらぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす

問3

(1)初期の遣唐使船の航路こうろをA~Dから1つ選びなさい。

(2)遣唐使の航路が時期によってことなっていた理由を説明しなさい。

答え(1)(2)
(1)B
(2)周辺国しゅうへんこくとの関係かんけい悪化あっか渡航技術とこうぎじゅつ発達はったつしたため
大坂湾→瀬戸内海→博多湾をて、7世紀は朝鮮半島沿いを通る比較的ひかくてき安全なBの航路でしたが、663年の白村江はくすきのえの戦いで新羅しらぎとの関係が悪化したため、CやDの航路に変更した。8世紀前半はD航路、8世紀後半はC航路になったとされている。

問4

奈良時代の律令りつりょう制度(大宝律令たいほうりつりょう養老律令ようろうりつりょう)の説明文で、正しくないものを1つ選びなさい。

ア:律では罪を犯したときに与えられる罰のことが示されている

イ:よう調ちょうなどの物をおさめるせいと、雑徭ぞうようという労働ろうどうで納める税がある

ウ:律令制度が制定せいていされた目的もくてきとして、天皇を中心とし統治とうちする中央ちゅうおう集権しゅうけん体制たいせい確立かくりつがある

エ:中央政府の仕組みとして、二官にかん八省はっしょう官僚かんりょう体制が作られた

オ:よう麻布あさぬので納めるが、都で年間10日労働する歳役さいえきで納めることもできた

カ:調ちょうは地方の特産物とくさんぶつを納める税で、たとえ遠方えんぽうでも都に直接ちょくせつ運ぶ必要がある

キ:兵役へいえきで納める税は、軍団ぐんだん衛士えじ防人さきもりの3種類である

ク:軍団は地方の警備けいびで10日間、衛士は都の警備で1年間、防人は九州の警備を3年間である

ケ:兵役は成人せいじん男性と女性にその義務ぎむがある

答え

兵役は成人男性のみにされるもので、女性にはその義務がありませんでした

問5

(1)すみで文字が書かれたうすい木のふだで地方から都に運ばれた税の荷札にふだなどに使われたものです。その名称めいしょうを答えなさい。

(2)ふだの頭部や側面そくめんがくびれているものや、はしとがったものがあるのはなぜですか?

答え(1)(2)
(1)木簡もっかん  🔎
(2)荷物にかけたり、んだりするため。
札は物の内容をしめすためにつけるもので、くびれているものはひもをくびれにかけて結びつけるため、端が尖ったものはたわらなわに差し込むためである